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昔から、「オレの夢は」と語る起業家気取りのヤツが大嫌いだった。ミッションという言葉を使う人たちのことも。彼らの話すミッションとやらは、なんだかとても薄っぺらに響いた。そんな僕が自分の人生をかけられるミッションをついに見つけてしまった。この機会にしっかり書いておいたほうが良いと思ったので、ココに書き留めておくことにする。

mixi時代から、ソーシャルネットワーク自体は好きだった。同じ趣味、趣向を持つ仲間と出会い、語ることが出来るからだと思う。1995年〜2005年くらいは、自分のサイトも持っていたので当時そのサイトを見ていたという人たちと「つながる」ためには、最高のツールだった。

2014年、FacebookやTwitterでタイムラインに流れてきた記事がとても気になった。バジル・クリッツァーというイタリア料理をアメリカ風にアレンジしたような名前の人。彼のサイトにあるコンテンツを読んで、僕は驚きを隠せなかった。脱根性論とでもいうか、音楽業界や音楽大学で当たり前になっていたことと全く反対のことを言っている。

なんだか凄いヤツが出てきたモノだなぁとAmazonで彼の本を数冊ポチった。いわゆるレバレッジ・リーディングというやつで僕の場合、気になった本は、速攻で買う。すぐ読む。一番気になった言葉は、

「頭が動いて身体全体がついてくる」

という表現。音楽大学時代、超有名オーケストラの超有名ホルン奏者に師事していた僕は、全くそれと逆のようなことを言われていた。口角が数ミリ単位で動くだけでも、僕はいつも怒られていた。

何でも試してみないと気が済まない僕は、「頭が動いて身体全体がついてくる」を自分なりに試してみた。すると驚くことに「いつもと違う感覚」「ふわっとして、自由になった感覚」を味わった。このとき、38歳。どんどんホルンが下手になっていく自分を「どう許すか」みたいなことばかりを考えていたけど、もしかしたら何かヒントが得られるのかも?と直感した。

そんなタイミングで、友人で声楽家の藤田まりこさんがバジル・クリッツァーさんを札幌市に呼んでセミナーを開催するという話をお聞きした。すぐに申し込み、はじめてレッスンを受けることになったのは、2014年3月のことだ。

はっきりいって、半信半疑。名前しか聞いたことがないアレクサンダー・テクニークという「よくわからないもの」を「とりあえず見に行くかー」くらいの感覚だったのを覚えている。一日目、レッスン聴講日に家内にいった言葉は、「バジルって人が本物かどうか確かめてくる」だったそうです。(笑)

聴講は、本当に衝撃的な体験でした。奇跡を目撃する、とか、これは魔法じゃないの?という表現がしっくりとくる。もう信じられないくらいあっという間に身体全体のバランスというか全体感が変わり、音色や音楽が変化していく。思わず涙ぐんでしまった。何十年も悩んで苦しんできた奏者の気持ちがその場で昇華していくような瞬間を目撃したからだ。

その夜、「やべーあのバジルさんって人マジで本物だったわ。明日ナニが起こるんだろう!?」

混乱した頭のまま迎えた自分がレッスンを受ける日。すごく久しぶりに人前でホルンを吹いた気がする。アニシモフのポエムという曲を題材に選んだ。理由は、大学時代吹けていたのに今となっては全然吹けなくなった曲だから。

短時間でもレッスンの内容は濃厚でたくさんの学びがあった。自分が無意識で行っている身体の使い方を不思議な力で緩めていくような感じだった。他の人のレッスンをみるのも心の底から楽しかった。音楽があって、みんな音楽を愛していて、でもたまに苦しんでいて・・・アレクサンダー・テクニークは、そんな人たちを救える何かを持っていると確信した日だった。

その日から、約一年間ホルンをリビングに出しっぱなしにした。朝から吹いたり、ランチに帰宅したら吹いたり、仕事で疲れきって帰っても吹いた。そのたびにレッスンで学んだことを思い出し、バジル先生の下さった勇気が湧いてくる言葉を思い出した。

信じられないことに身体の疲れが軽減し、信じれない勢いでホルンが上達した。今まで聞いたことがないような音色が出て、なぜかとても楽器がよく響いた。そして、高音は上に外れるようになった。(笑 空気を送り込む効率がよくなった分、今まで以上に高音が出しやすくなったため)プレイスタイルのようなものがどんどん変化していった。

バジル先生にまた習いたい。

単純にそう思った。家内は、すごく簡単なことのように僕にこう言った。

「いこうよ、トウキョウ。私、カバン持ちするよ。ホルン持っていこう」

大学4年のとき以来、約20年ぶりでホルンを持ってヒコーキに乗った。2014年12月。

東京では、ホルン奏者ばかりが集まるマスタークラス形式のセミナーに参加した。首都圏だけではなく、全国から集った「学ぶ意志」を強く持ったホルン奏者たち。もちろん講師は、バジル先生。そこでも多くの学びがあった。だって参加者全員がホルン吹き。一瞬も目を離せないというか、音楽大学での何年分の学びだろう?と思うほどだった。セミナーの最後にバジル先生に向けて、僕が放った質問は、「次は、いつこういうセミナーがあるんですか?」だった。

そして冷静に思った。こういう場所、一年に一回でもいいから来たい。僕の大好きな楽器をやっている友達にこのことを知ってほしい。

なぜ、そんな風に思ったかというと、「僕は死ぬまでずっとホルンが上達する。」と確信したから。以前は、年齢と共に吹けなくなっていくと思っていたし、そういうことを信じていた。でも、アレクサンダー・テクニークを学ぶことで、もっと自分の持っているポテンシャルを引き出して、何歳になってもホルンが吹けて、どんどん上達することを確信したのだ。

楽器をまた吹くようになって、いくつか演奏会にも出た。だけど、吹いても全てが満たされる感じはなかった。オレがうまくなって、オレが楽に楽器が吹けて、オレの演奏会があって・・・オレオレでは、全然おもしろくないし、何も満たされない。

16歳のとき、僕は音楽大学進学を決めたけど、そのとき僕はこんなことを考えていた。

「戦争とか災害とか何か大変なことがあったとき、人がまず最初に捨ててしまうのは芸術かもしれないけど、本当に人間が極限状態となったときに最後まで残るのも芸術だと思う。だから、僕はこの崇高な芸術(音楽)を学びたい。」

たまにこんなことを想像する。

僕みたいに音大にまでいったけど、仕事とか家庭とかいろんなことに理由をつけて音楽から離れたオジサンがいて、そのオジサンがアレクサンダー・テクニークと出会って、再び楽器を吹くようになる。どんどん上達するので音楽がまた楽しくなって、たまに北海道の小さな町で小さなコンサートを開き、休みの日には中学校に楽器を教えにいったりする。するとそこで習った学生がまた音楽を志して、またどこか別の場所で音楽をはじめたりする。

そんな連鎖が続いたら、北海道は音楽で溢れるんじゃないかと。隠れている音楽家がどんどん発掘されていくことを思った。音楽は、悲しい時にはやさしく、楽しい時にはもっと楽しく響く。もう会えなくなってしまった人にも届く魔法の言葉だ。だから、たまに音楽を愛する人は涙を流す。そんなパワフルで優しい魔法の言葉で、北海道を溢れさせたい。

5年後、10年後・・いや自分が還暦を迎える20年後くらいまで考えたら、このプロジェクトは、北海道を音楽で溢れさせると確信している。41歳にもなって、人生をかけられる大きなミッションが見つかってしまった。

もうひとつ、このプロジェクトの影で、悩み疲れた音楽家が救われる。長年の悩み、葛藤、そんなことがまるで雪がとけていくように解決に向かう。音楽家にとって、心が暖かくなる瞬間が何度もなんども訪れるはずだ。そして、僕らはそれをみて、体験して、味わったことがない感動を味わうのだと思う。

不思議なことに・・この話を誰かに話すと、信じられないくらいワクワクして、信じられないくらい気持ちが熱くなる。熱っぽく語るヤツが大嫌いな僕が、誰よりも熱っぽく語るのだ。

アレクサンダー・テクニークセミナー北海道、始動します。